
中部地方には、日本アルプスや富士山をはじめとする険しい山々、東海道や中山道などの古い街道、遠州灘や伊豆半島といった海辺を舞台に、さまざまな妖怪・怪異が伝えられています。
飛騨の山中で人の心を読む覚、信州木曽に現れる鬼熊、遠州灘の波音を変えた浪小僧など、その性質は地域によって大きく異なります。
また、山梨県にはヨゲンノトリのような予言獣、長野・山梨・愛知などには管狐を使役するという憑き物信仰も残されました。
この記事では、中部地方のうち山梨・長野・岐阜・静岡・愛知の5県と結びつきの強い妖怪・怪異を15体紹介します。
※中部地方の範囲には複数の分け方があります。本記事では、既存の北陸地方・近畿地方の記事との重複を避け、甲信・東海地方を中心に扱います。
中部地方の複数地域に伝わる妖怪・怪異
1.管狐(くだぎつね)

管狐は、竹筒や管の中に収まるほど小さいとされた憑き物です。
長野県・山梨県・愛知県知多半島などを中心に伝わり、祈祷師や「管使い」と呼ばれる者が使役すると考えられました。
飼い主の耳元で秘密や未来の出来事をささやく、財産や食べ物を運ぶなどの力を持つとされます。一方で、数が増えて大量の食べ物を求め、最後には家を衰えさせるという話もあります。
2.猿神(さるがみ)

猿神は、猿の姿をした神霊・怪物です。
猿を山の神や神の使いとして敬う信仰がある一方、昔話では村人に娘の人身御供を要求する恐ろしい存在として登場します。
長野県駒ヶ根市の光前寺には、霊犬・早太郎が娘の身代わりとなって老いたヒヒを退治したという伝説があります。静岡県磐田市の見付天神にも、しっぺい太郎と呼ばれる犬が怪物を退治した近い物語が伝わります。
3.送り犬(おくりいぬ)

送り犬は、夜の山道を歩く人間の後ろからついてくる犬の怪異です。
人間が転ぶと襲いかかるという恐ろしい話がある一方、転ばずに歩けば家まで守ってくれるという伝承もあります。
静岡県伊豆半島北部には、送り犬につけられたときに草履を投げると、それをくわえて立ち去るという話があります。山梨県などにも近い伝承が残されています。
山梨県に伝わる妖怪・予言獣
4.ヨゲンノトリ

ヨゲンノトリは、白と黒の二つの頭を持つ鳥のような予言獣です。
幕末の甲斐国で記された『暴瀉病流行日記』に描かれ、翌年に流行する疫病を予言したとされます。また、自分の姿を朝夕に拝めば災難を免れられると告げたと記されています。
アマビエやアマビコに近い性質を持ちますが、別の記録に描かれた異なる予言獣です。
なお、「ヨゲンノトリ」という呼称は記録中の固有名ではなく、後世に紹介される際に定着した名前です。
5.蟹坊主(かにぼうず)

蟹坊主は、山梨県山梨市周辺に伝わる大蟹の怪異です。
荒れた寺に黒い僧の姿で現れ、宿を借りた旅の僧へ禅問答を仕掛けます。旅僧が怪異の正体を見破ると、巨大な蟹の姿を現したとされます。
蟹坊主が退治された寺は、のちに「蟹寺」と呼ばれるようになったと伝えられています。
6.白蔵主(はくぞうす)

白蔵主は、老狐が僧侶の姿に化けた化け狐です。
『絵本百物語』では、甲斐国で狐を捕らえて暮らしていた猟師・弥作と、その伯父にあたる僧・白蔵主の物語として描かれています。
子狐を捕られた老狐は白蔵主に化け、弥作に狐狩りをやめさせようとします。話の系統によっては本物の僧に成り代わり、長い間その姿で暮らしたとも語られます。
長野県に伝わる妖怪
7.鬼熊(おにぐま)

鬼熊は、信州木曽に伝わる巨大な熊の妖怪です。
長い年月を生きた熊が怪物となった存在で、人間のように二本足で立ち、夜になると里へ下りて牛や馬をさらうとされます。
巨大な岩を谷底へ落とすほどの怪力を持つとも語られ、普通の熊をはるかに超える山の怪物として恐れられました。
8.袋下げ(ふくろさげ)

袋下げは、長野県大町市周辺に伝わる狸の怪異です。
人が林や木の下を通ると、上から突然白い袋を垂らして驚かせるとされます。
人間へ大きな危害を加える妖怪ではなく、夜道や林で人を驚かす化け狸のいたずらに近い怪異です。
岐阜県・飛騨地方に伝わる妖怪
9.覚(さとり)

覚は、飛騨・美濃の山中などに現れるとされる、人の心を読む妖怪です。
山で働く樵の前に現れ、相手が考えていることを次々と言い当てます。逃げよう、攻撃しようと考えても、その考えを先に読まれてしまうため、人間は手を出せません。
ところが、火の中ではじけた木片が偶然当たると、覚は驚いて逃げたといわれます。
人間の考えは読めても、本人さえ予想していなかった出来事までは読めないという、知恵比べ型の山妖怪です。
10.雪入道(ゆきにゅうどう)

雪入道は、岐阜県の飛騨地方に伝わる雪の怪異です。
一つ目・一本足の姿とされ、雪の降った翌朝に残る大きな穴や凹みを、雪入道の足跡だと考えました。
雪女のように人間を襲う具体的な物語が中心ではなく、雪原に残された正体不明の跡を妖怪の仕業とした伝承です。
静岡県に伝わる妖怪・怪異
11.座敷坊主(ざしきぼうず)

座敷坊主は、静岡県浜松市天竜区水窪町に伝わる家の妖怪です。
坊主頭の按摩のような姿で現れ、眠っている人の位置を動かしたり、枕を返したり、体を押さえつけたりするとされます。
かつてその家で殺された僧の怨霊だという話もありますが、伝承によって正体は一定しません。
名前は座敷童子に似ていますが、家へ繁栄をもたらす子供の妖怪ではなく、眠っている人へ怪異を起こす僧形の存在です。
12.浪小僧(なみこぞう)

浪小僧は、静岡県の遠州灘周辺に伝わる小さな水辺の妖怪です。
漁師や旅人に助けられたお礼として、遠州灘の波音を使い、離れた土地にも天気の変化を知らせるようになったと語られます。
遠州地方では、海から離れた場所で波音がよく聞こえると天気が崩れ、聞こえにくいと晴れるといわれました。
人を襲う妖怪ではなく、波音と天候の関係を説明する恩返し型の怪異です。
13.石妖(せきよう)

石妖は、静岡県の伊豆山中にある石切り場へ現れたとされる妖怪です。
美しい女性の姿で石工たちに近づき、「按摩をしてあげましょう」と声をかけます。按摩を受けた石工は眠り込み、目を覚ますと体に石でこすられたような傷が残っていました。
石妖が銃で撃たれると女の姿は消え、そこには砕けた石が残ったとされます。
女性へ化けた妖怪というより、石そのものが女性の姿を取った怪異として描かれています。
14.夜泣き石(よなきいし)

夜泣き石は、夜になると人間のような泣き声を上げる石の怪異です。
特に有名なのが、静岡県掛川市の小夜の中山に伝わる夜泣き石です。
身重の女性が山賊に殺され、その魂が石へ宿って泣いた、あるいは残された赤子のために石が泣き続けたと語られます。
夜泣き石は全国各地に存在しますが、小夜の中山の伝説は東海道の難所と母子の悲話が結びついた、静岡県を代表する怪異の一つです。
愛知県に伝わる妖怪
15.布団かぶせ(ふとんかぶせ)

布団かぶせは、愛知県西尾市の佐久島などに伝わる夜道の怪異です。
夜に道を歩いていると、どこからともなく布団が飛んできて、人間の頭から覆いかぶさるとされます。
布団の中から正体不明の力で押さえつけられ、窒息させられるという恐ろしい話もあります。
まとめ
中部地方には、山岳・雪国・街道・海辺という多様な環境を背景に、さまざまな妖怪や怪異が伝えられています。
特に代表的なのは、
- 山梨県:ヨゲンノトリ・蟹坊主・白蔵主
- 長野県:鬼熊・袋下げ
- 岐阜県:覚・雪入道
- 静岡県:座敷坊主・浪小僧・石妖・夜泣き石
- 愛知県:布団かぶせ
- 複数地域:管狐・猿神・送り犬
などです。
中部地方の妖怪をたどると、雄大な山や海だけでなく、そこで暮らし、街道を歩き、天候や獣を恐れた人々の生活も見えてきます。